大 賞
結婚して家を出た娘
歯に衣着せぬ発言をする娘で、看護師をしています。時おり旦那様とぶつかる事もあり、ストレートな性格上、とても心配な毎日で「大丈夫なの?」と聞くと、笑顔で「幸せだよ、だって私だもん!!」と答えました。人知れず苦労して、このご時世仕事も大変だろうにと、思わず「うっ…」と涙がこぼれました。
自分の幸せを何かと比較してしか自覚できないこと自体が、実は不幸なんですよね。そのからくりを見破ってズバリと幸せを引き寄せようとする意志はこちらをも励まします。(いとう)
しっかりと自分を生きていることが分かる言葉で、とてもたのもしい。自分を幸せにするのは自分なのだ、だから大丈夫なのだ、という気づきがあり、はっとするほど新鮮。(東)
困難な時代だからこそ、大切なのは自分を愛すること。だからこそ他者を愛することもできること。最後の「!」マークに、言い切ることで自身を鼓舞する強い意志を感じた。(平野)
特 別 賞
7歳の娘
娘が授業参観日に言った言葉です。社会で戦争や平和の授業中、他の子供の親たちも感心。うちの娘ってすごいと思ってしまいました。
日々こういう気持ちになる今の地球です。子どもは一番の解決策を口にしてくれますね。大人はそれができないと決めつけている。そもそもこの思想が国連をつくったわけですから、できるといつでも信じていないと。(いとう)
地球上に戦争が絶えないことを子ども心に憂いて生まれたすばらしい提案。今の時世を鋭く批評する言葉でもあり、胸を突かれた。(東)
争いの絶えない世界において、少女のまっさら願いの切実さに胸を打たれた。(平野)
父
父は棟梁として長年たくさんの家を建ててきました。私は小さな頃から職人の中で育ち、物理的に物事を考える事、全てのものに美しさを見いだす事、付加価値を生みだす仕事をする事などたくさんの事を教わりました。手に職を、のすすめで私は料理の道へ。今は父の建てたレストランのオーナーシェフです。
どうしても「強風」「暴風」を他人に押し付けて成功譚を語ってしまう。だから成功そのものが楽しくない。人に必要なのは心を優しくするそよ風、それもあったかいやつ。(いとう)
効率優先で見映えばかり求める世の中にあって、そうではない方向性としての「そよ風」という言葉の提示、センスが光る。(東)
突風でも、嵐でもなく。劇的なものではなく、あえてそよ風を大切だと言い切る繊細な眼差しにハッとさせられた。(平野)
娘
娘が幼稚園に入園して少し経ち、自我や自己主張が出てきた頃のことです。それまで本当に手のかからない子だったのですが、私も慣れない生活で疲れていたこともあり、ちょっとした娘の反発にもイライラしていました。そんなある日、娘に対して怒りの感情が爆発し言葉を荒げてしまったのです。娘はその時は何も言いませんでしたが、その日の夜、ぽつりと「〇〇(自分の名前)は、お母さんの言葉で育っていきたい。」と私に向かって言ったのです。まだ4歳の冷静かつ愛に満ちた娘の言葉に衝撃を受けました。「そうだよね!母親である私がそんな言葉遣いをしたらいけないよね!愛情たっぷりの綺麗な言葉を使わないといけないよね!」と気付かされ、それ以来、イライラした時ほど言葉を選ぶようになりました。とは言え、時々は鬼ババアのごとく怒り狂い、反省を繰り返す成長しない母なのですが…苦笑。
だからお母さん、あなたの言葉に気をつけてねと。上手に大人を諭しますね。素晴らしい。「お母さん」のところに「政治家」「先生」「ネットの人気者」と入れてみると、言葉の力に注意が向きます。(いとう)
子どもにこんなことを言われたら、母親側は反省し、丁寧に言葉を選ばざるを得ない。パンチのあるひとことだと思う。(東)
「あなたの暴言は、本心ではないですよね?」という思いを、瞬時にこの言葉へと変換する力が素晴らしい。言葉の強さを感じた。(平野)
優 秀 賞
自分
当時、あがり症だった子どもたちに、学芸会やピアノの発表会など、緊張する場面でも楽しんでほしくてかけていた言葉です。
武者震いとは言いますが、武者じゃなくたって心は震えるんです。不安と期待で。それを我々も「勇気のドラム」と呼びましょう。(いとう)
緊張して胸が高鳴ってどうしようもなくなったとき、この言葉を思い出すと落ち着くことができそう。普遍的な効用が期待できる。(東)
ドキドキするような緊張感のある状態にこそ、学びや成長や出会いがある。そこから逃げずに、むしろ肯定するために「勇気のドラム」という表現をされているのが素晴らしい。(平野)
祖母
2022年1月10日、祖母81歳の誕生日に祖母、母、妹、私、妻の5人で、ランチタイムにちゃんぽんで有名なお店に行きました。丼に野菜なみなみたっぷりのちゃんぽん4つ(祖母と母がシェア)と焼飯2つを注文し、テーブルの隙間が無い程となりいざ実食。81歳にもなるのに一早くボリュームたっぷりのちゃんぽんと焼飯を平らげた祖母が私たちにつぶやいた一言です。卓にぎっしりのお皿とボリューム満点のちゃんぽんと相まって、すごく心に響きました。もりもり食べてこれからもずっと健やかに、ボリューム満点の人生を謳歌してほしいと思いました!
実感が伝わりますね。「癒えた」だと元に戻っただけですが、「ボリュームが増えた」は容量自体が拡大したわけなので、人生が一気に豊かになった感覚が生じてうれしい!(いとう)
たっぷりとおいしい食事が取れた喜びを語った祖母の言葉。今生きていることが楽しくなるユーモアがある。(東)
なんてチャーミングで生命力溢れる言葉なのだろう。卓にめいっぱい溢れる食事の風景がありありと浮かんでくる。(平野)
大 賞
息子(当時5歳)
自転車をこいで息子を保育園に送っていた頃、桜並木の道を通りかかったときに後部座席に座る息子が言った言葉。桜の木は花をすっかり散らしてしまっていたけれど、地面にはびっしりと散った桃色の花びらが……。たしかに地面は満開。なるほど、そういう見方もあるんだな、と感心しました。息子はいまは小学1年生。豊かな感受性は大事にしてほしいと思っています。
地面に花が咲いたという感性がすばらしい。非常に明るく前向きに捉えていて、とても良い言葉だと思った。(角田)
先行きの見えないこの時代において、ポジティブな気づきが良いと思った。自分はコピーライターなので、短くて強い言葉が響いた。大賞にふさわしい言葉だと感じた。(牧野)
散ってしまったというマイナスの言葉が表現の力によって生まれ変わった。いつもは足で踏みつけられているはずの地面が、言葉によって華やぐ瞬間を捉えて見事。お子さんの温かみを感じられ、言葉の力を感じられた。(薮内)
特 別 賞
姉
大切な来客の前に、必死でそうじをして、お客様の目にふれる所はくまなくきれいにしたつもりだった。が、チェックに来てくれた姉が、すぐにカーテンレールの上のほこりに気づいた。その時の言葉。かといって、直前に必死でそうじをしたことはお客様に知られたくないし…。
すると見えない、しないと見える。その表現にはっとしました。掃除する側の苦労に寄り添い、掃除してもらう側に気づきをくれる言葉です。(角田)
やってくれていることは気づかない、やってないと気づいてしまう。掃除以外にも当てはまる言葉だと思う。暮らしに根づいた日常的な気づきだと思った。(牧野)
いろんな人がいろんなところで、気づかないぐらい頑張ってくれている。そう想像する気持ちがあるべきだと思うし、コロナ禍のいま、このようなメッセージが大事だと感じる。(薮内)
同僚
コロナ禍で売り上げが伸びない同僚が、いつ収束するかわからないコロナの状況でも立ち止まることの無い姿勢に感動した。
コロナに負けるなというような強いメッセージが非常に多いなか、このようにおだやかな言葉がかえって心に響きます。(角田)
誰にも先の見えない状況の中、走り続けることも大変だけれど、そんな時は歩いてもいい。このタイミングだからこそ、多くの方に届く言葉。(牧野)
今の時代、短い言葉で心に届くメッセージを発することが大事だと改めて感じさせられた。(薮内)
大学の友人
休日に予定があるかと友人に尋ねたら「特に何もしない」と一言。用事がないなら遊ぼうと誘った時に返されたのがこの言葉です。観たい映画を決めたり、食べ物を用意したり、家の中でダラダラするのも立派な用事。外出があまりできなくなった今だからこそ考えさせられる言葉です。
こう答えればいいんだ、とハッとした。こんなふうに気の利いた返しができるセンスがうらやましくも感じた。(角田)
誰だって時に無気力なタイミングはあるもの。ぼく自身はそんな時は「瞑想」と呼ぶことにしているが、この言葉はそれを端的に表していると思う。個人的に好きな考え方で非常に共感できた。(牧野)
一日何もしない日というのは必要だと、とても共感できる。「あるねん」という言い方もフレンドリーでおもしろい。(薮内)
優 秀 賞
仕事のクライアントの女性
仕事が波に乗らなかった頃、人間関係に悩んでいました。その女性に会った時「自分にとってマイナスになる人とすぐ縁を切ってしまう、冷たい人間なんです」と伝えたところ、「人は縁を切るわけじゃないんだよ。人との関係が苦しくなるのは誰でもあること。そしたら一旦ほどけばいい。本当に縁のある人なら自然とまた結ぶ時がくるよ」と言っていただき、当時人とうまくやれない人間なんだと思っていたので、とても楽になりました。なんて素敵な表現なんだろう、と忘れないように書き留めました。
言葉として強く、印象的。縁を切りたい人とではなく、縁をほどいて結びたいと思える人と、つきあいたいと思いました。(角田)
「縁を切る」という言い方は普通だけど、「ほどく」という概念を持ってきたのがおもしろい。言葉の新しさを感じた。(牧野)
「ほどく」というイメージが縁の本質を捉えているように思う。失敗してもやり直せるんだという前向きな姿勢も感じられ、大切な考え方だと感じた。(薮内)
母
私が幼い頃から自由人な母。父が他界し、乳がんにもなり、さらに今年、脳梗塞で倒れ大好きな車の運転もできなくなりました。それでもいつも明るく自由な母に「なんでいつも自由なの?」と尋ねたときの返事がこれでした。ユーモアも抜群で身体が不自由になってもそう言えるってとても素敵で母らしいなぁと誇りに感じる一言でした。
背景までよく読むと、辛い状況下にあるお母さまのセリフとわかる。皆がいろいろな負担を強いられている今の世の中、この言葉は多くの人の気持ちを代弁しているかのように感じた。(角田)
ユーモアのある素敵な言葉。縛られてしまっている環境の中で、これを言っているお母さんはとてもかっこいい。(牧野)
ユニークなキャラクターが光る、とても印象的な言葉。(薮内)
大 賞
仕事仲間
猫の手も借りたいほど接客業務に追われていた私たち。ふとした瞬間に一度だけ同僚が立ち止まって深呼吸。これは息を吐いたときに放たれたひと言です。
私たちの活動には魂が宿っているのだなぁ!と、気づかされ、神聖な気持ちになりました。
言葉のチョイスが素晴らしく、短いながら心をくすぐる。「魂」を視覚している感覚が新しく斬新。言葉に対して、多面的な方向からアプローチしていくような自由さがある言葉。(金原)
「魂」と「こぼれそう」という昔からある言葉を新しく結び付けて、新たな感覚を生み出している。ポエジーでとても印象的。(東)
ハッとする言葉。いままで何て言ったら良いかわからない表現を言語化できている。(松浦)
特 別 賞
友達
友達と車に乗っていて、雨がザーッと降ってきた。せっかくのドライブなのに憂鬱だなーと思っていたときの友達の言葉。窓に当たる雨の音がそう考えると拍手に聞こえる。
それを言われて以来、ずっとその言葉が離れず、雨になる度に思い出して思わずほほえんでしまう。傘をさしていても同じく。なんともポジティブな一言。
とても前向きな言葉。どんな大変なことでも違った側面で見たら、おもしろかったり素敵だったり…ポジティブな気持ちになれる。一見苦しみ、つらいことでも、考えようだったり、違う側面から見ると実は幸せなことのひとつだったりもする。(松浦)
母
自分の生き方等で悩んでいた時だったと思います。周りからはたいした悩みではなかったと思うが、自分としては、大きな壁にぶつかってしまった。
その時に母から「そんときは、そんときさんがどうにかしてくれるから。私もおばあちゃん(母の母)に教わったよ」と声かけてくれました。私は一瞬で目の前の大きな壁がなくなりました。
(母もおばあさんも鹿児島出身なので、鹿児島弁で言われると、あたたかみが増します。)
今は特にコロナウイルスの感染拡大で先のことをみんな心配に思ってしまうなかで、深い、生きるための示唆を与えてくれる。“そんとき”に“さん”を付け擬人化することで、心が楽になる。特別なその人だけの神様を言葉で表現できるのは、心の呪文のような力がある。(東)
息子
学校から帰ってきて、膝とおでこに擦り剥いた傷があり、コレどうしたの?と言った時に返ってきた言葉。
思わずたくましい言い訳?にクスッと笑ってしまいました。
小さい子がユーモアをもって自分の状況を茶化したひとことが、微笑ましく、かわいらしい。結局何が起こったか分からないことも含めて、親子関係や背景を想像しながら読めるのが楽しく、ほのぼのした気持ちになる。(金原)
優 秀 賞
りえさん
転職で悩んでいた時にくれた言葉。「あなたが笑顔でいれる場所にいてね」という言葉とともに。背中を押されたし、この言葉で決断できました。
ドキドキハラハラ心地よい緊張感のある場所にこそ、学びや成長や出会いがある。これからの自分たちの生き方のヒントになると感じた。(松浦)
刺激や緊張感をもって自分を奮い立たせていける場所を自分で確保していくという意味で、それを支えてくれた言葉なのだろう。二人の関係性やシチュエーションが想像できるような素敵な言葉。(金原)
昔の同僚の先生
国語の先生が言っていたセリフ。本当に言い得て妙だと思う。スラスラスラ~っと、本の流れに飲まれてしまう感覚はよくわかる。
長く生きてきて、心に残る本の記憶は長い時間をかけて心の底を流れており、それは川のようなものだと思い、説得力を感じた。(東)
川が流れている都市が繁栄する、という歴史があるように、良い本には、自分を豊かにしてくれる、繁栄させてくれる、という要素が含まれていると思う。(金原)
大 賞
旦那
年始に夕食を一緒に食べていた時の旦那の一言。
昨年の師走はお互い忙しくピリピリしていたが、年末年始の休暇でのんびりできたおかげで心身ともに回復でき、年始はお互い優しさを持って接することができるようになったことから。人に優しくするためには、まず自分が健康で元気でいることが一番大事だと考えさせられた。
人に優しくしたくても、元気がないとなかなか優しくできないこともある。
優しさだけでなく、いろいろな「大切なこと」にとって、体力や元気、健康が必要だと気づかされる言葉でした。シンプルでキャッチ―。すんなりと自分の中に入ってくる一言です
各 部 門 賞
恋愛部門
小学生時代の同級生
小学生の時、キャンプに行くバスの中で当時想いを寄せていた女の子に「○○ちゃん、俺のことどう思う?」と聞くと、彼女の口からこの言葉が出てきました。
小学生ながら恋人を唐揚げに置き換えていた彼女のことが今でも忘れられません。やはり唐揚げには勝てないと我ながら納得した初めての失恋でした。
好きな人を言い表わす言葉として、とても人間らしく、かわいらしい表現です。
花より団子、という言葉もありますが、この言葉は分かりやすい中にジワジワ来るものがありました。「友達以上」というところが絶妙です。
仕事部門
新聞配達をしている友人
寒い日の新聞配達が大変だと、労いの言葉をかけた時に返ってきた言葉。
たとえば降り積もったばかりの雪に足跡をつけたり、まるで小説のように言葉の背景や情感が見えてくる一言。
人から見るととても大変な仕事でも、本人がその中に幸せを見出している。そんな素敵なシーンが想像できました。
家庭部門
娘
年老いた母がわがままを言うので「おばあちゃんのために地球は回ってないんやで」と言うと、隣で娘が言いました。
世間や他人がどう思うかではなく、主体性を感じさせる強さが魅力的。
おばあちゃんに限らず、人それぞれの「地球の回り方」があると思える前向きな言葉だと感じました。
優 秀 賞
息子(小学生の時)
元気な曾祖母は92歳。とはいえ、時に孫とひ孫がごちゃ混ぜになり、なかなか名前が出ないことも。
「楽しかったことも忘れちゃうのかねえ」と記憶の衰えを嘆く大ばあちゃんに、息子が言った一言でした。
自分が言われたり、言える関係性があったら嬉しい、そんな気持ちの良い言葉です。「こういうことを言える自分になりたい」、そう思える一言でした。
娘
4歳の娘、日々いろいろ感じ考えて話してくれます。その日も朝から照りつける太陽を見て、こう言いました。「たいようは、わたしがすきみたい。だって、いっつもわたしがいる時、お空にいるもん」と。 好きだからいつも見てくれているとのことでした。なんだか笑顔になった一言でした。
自分を主体に、シンプルに世界を見ている力強さがある一言。太陽という大きなものを「好き」か「嫌い」かの観念でとらえており、毎日がキラキラして見える明るさ・楽しさを感じました。
大 賞
9歳の娘
学校でけんかをして「一生遊ばない」と言い合った同級生と、明日はまたお友達になるそうです。
人付き合いで、いろいろギクシャクすることもあるけど、そんなときに、明日どう生きるかを考えるのはなかなかできないことです。
「また」がついていることで、友達というのは一度仲が悪くなっても何度でもまた仲良くなれるといった、再生できる未来を感じさせてくれました。
子供のピュアな気持ちが素直に表現された、大人になってもそうありたいと感じさせてくれる作品です。
各 部 門 賞
恋愛部門
彼女
新しく買った手帳に、彼女の誕生日をメモしたときに言われました。
自分は何人の手帳に誕生日をメモしてもらってるんだろうと考えてしまいました。
“誕生日をメモしてくれている”ということはなんでもない行為だけれど、自分が生まれたことを祝福してくれているという、その奥にある意味の深さがうまく書かれています。
単純に覚えてくれているのとはまた違って、メモしてくれているというところに特別感や愛情を感じます。
恋人だけでなく、家族、友達など、自分の誕生日が何人の人にメモされているかな、そんなふうに考えられるのはとても素敵なことですね。
仕事部門
担当の先生
ずいぶん昔、教育実習に母校を訪ねた時に、生徒への叱り方を担当の先生より教えていただいた言葉です。
相手を思い最良の言葉を投げかける極意です。
怒りを1回鎮めて相手に伝えるということが分かりやすく表現されており、言葉の裏にある愛情も感じ取れました。
仕事は人間関係が中心だけれど、人間関係って一番悩むところ。
その中で、この言葉を思い出すと、とてもホッとします。
家庭部門
長女(5歳)
ある朝、僕の寝ているベッドに来た娘が言った一言です。
「なぜ?」と尋ねると、「朝、おヒゲがあるときはパパお休みだもん」と娘は笑いながら言いました。
僕は思い切り抱きしめました。子供はよく見ているものですね。
ヒゲがあると休みで遊んでもらえる、小さい子ならではの独特の視点がとてもユニークで可愛らしいです。
この一言に表れる家族の物語、小さい子とお父さんの心の交流が見えました。
忙しいパパからすると、この言葉は本当に嬉しいでしょうね。
子供は大人が見ていないところを見ていて、小さい子なりに感じていることがあるのだと気付かされました。
優 秀 賞
幼い姉
スケート場で、見知らぬ幼い姉弟のお姉ちゃんの言葉。
二人はしっかり手をつないでいました。
大人になると人に対する関心がどうしても薄くなってしまいがちですが、子供同士の言葉、姉弟の優しさで自分もこういうことを言ってあげられるのかな、言える自分でありたいなと立ち返る思いです。
一緒に遊んであげるとか、教えてあげるとかではなく、ネガティブなことを一緒にしてあげるという言葉に、人生で一緒につらい思いをしてあげられる覚悟があるよ、そんなふうに感じ取れました。
祖母
嫁いだばかりの頃、祖母に言われた一言。実家で祖母が洗濯物をたたみ始めたため、何気なく手伝ったところ、「そんなたたみ方をして。洗濯物も色気をもってたたみなさい」とアドバイスされました。
祖母が洗濯物一つにも思いを込めてたたんでいたことに気づかされました。きちんときれいに、身につける前に品良くたたむことを祖母から教わりました。
今も祖母は元気です。私も主婦歴15年。洗濯の度に祖母の一言を思い出しています。
自分の姿を客観的にみて、人間としての魅力がにじみ出るよう行動しなさい、という意味を「きちんと」ではなく「色気をもって」という言葉を使うところにセンスの良さを感じます。
どんなことでも単なる作業としないで、感謝を込めなさい、美しくしなさい、という深い教えはとても普遍的で、現代でもこのような考えをもって生きていきたいと考えさせられました。
大 賞
ひとりで暮らしている82歳の母が、誕生日に息子・娘家族7人で集まって食事をした際、ふと口にした言葉です。
大勢でいただく食事は、どんなごちそうよりも心の栄養になるのかもしれません。
お母さまが”ふと口にした”というところにリアリティを感じ、そのシーンや表情が目に浮かんできます。
いつの時代も家族が集まることの楽しさと大切さは不変です。
それとともに、みんなが帰ってしまった後の寂しさまでも思い浮かべると、更に深く心に響いてくる作品でした。
優 秀 賞
ある高齢者施設に住む90代の夫婦に、仲良しの秘訣を伺ったときのこと。
ご主人が「お互い耳が遠いからケンカにもならない」と笑顔で言われていたのが、とても心に残りました。
この言葉の裏に長い夫婦の歴史を感じるとともに、ご主人の明るさこそが本当の仲良しの秘訣であったのであろうなと感じます。
この言葉を横でクスッと笑いながら聞いている奥様の気持ちも伝わってくるような言葉ですね。
「どんな発電方法がある?」という問いかけに対して、火力発電や風力発電、太陽光発電と次々に答える子どもたち。
もう出尽くしたと思ったとき、一人の男の子が手を挙げて「言葉発電」と答えました。
「それはどんな発電なの?」と聞き返すと、返ってきたのは「うれしいことを言われると、心がポッとあったかくなる」という言葉。
今でも忘れられない、授業中のやりとりです。
言葉の大切さ、言葉が持つ力、言葉の価値を感じさせてくれる作品です。まさにこの手帳大賞の意義とも通じるものです。
人の心をあたたかくもさせるし、人を傷つけることもある、そんな言葉の持つ本質を子どもらしい表現で伝えてくれています。
「ココロがぽっとあったかくなる言葉」。あらためて大切な人に発電していきたくなりました。
審 査 員 賞
泉麻人賞
パソコン、スマホ、タブレットなど。今や友人・仲間との連絡に欠かせなくなったモバイル機器。
しかし屋外で思わぬ電池切れに遭遇し、誰とも連絡が取れなくなることもしばしばあります。
ひと昔前なら、親しい人の電話番号くらいは覚えていたのに…。そんな落胆する中で、ふと思い浮かんだのがこのひと言です。
やはり大切な連絡先は、手帳へ書き留めておくべきですね。
クールなIT時代を象徴するようなフレーズでありながら、「電池」って言葉が案外古臭い。
そんな微妙なアナログ感が耳に残りました。
椎名誠賞
朝顔に水をやらない小学1年生の男の子が、それを注意した担任の先生に放ったひと言です。
これは自分の心に全く偽りなく自然に出てきたものだろう。
小学一年生ならではの本音の一言は、いくつもの方便で責任を回避しがちな大人たちに鋭く迫ってきます。
黛まどか賞
まだ駆け出しだった約30年前、職場の先輩社員に言われた言葉です。
それ以来、手帳とペンは肌身離さず持ち歩いています。
「千里の道も一歩から」と言います。歴史的な偉業や大発明も、日々の小さな発見やひらめきの積み重ねの上にあるのです。
小さなメモ、仕事に限らず、人生の習慣にしたいものですね。
大 賞
(ガンの)外科病棟を退院し、帰宅した翌日、台所に立った妻の一言。
病気を乗り越えて、家族が後ろにいる台所から朝陽のまぶしさを感じて思わず口に出てしまった一言だと思います。
「台所」という言葉が生活感をより際立てていて、飾らない言葉だからこそ日常生活に戻った時の感動が表現された作品でした。
優 秀 賞
還暦超の高校同期会で、半生を振り返って誰からともなくそういう話しになってなんとなく一同、納得した言葉。
「そういうことダヨナ」
この言葉を聞くだけで、膝を打つような納得感を感じることができる、まさに完成された一言です。
還暦を超えて、人生を振り返ってこそ出てくる奥深さが表現されています。
内面的な心の傷も磨かれているのだと思うと、前向きになれる言葉です。
息子は強くて大きい怪獣に憧れる腕白な男の子でした。ところが、自然災害のニュース映像を見て、
土砂崩れに巻き込まれた自宅をみて泣く人や、川の氾濫で電柱につかまって助けを待つ人に心を痛めたようです。
優しい怪獣になって、困っている人を助けてあげたいそうです。息子の小さな成長を実感した言葉です。
子どもにとっての怪獣は、一見すると怖いし強いというイメージを持っています。けれどもそんな姿に憧れて、
正義の味方ではなく「優しい怪獣」になることで、困った人を助けてあげたいと思う素直な気持ちがうまく表現されています。
審 査 員 賞
泉麻人賞
娘が5~6才だった頃、ニラの買物を頼まれて…。
これ、読んで一瞬、?となって2秒後くらいにヘヘッと笑った。大阪の方のようだから、関西に多い青ネギですよね。
アイロンでシューッとなった感じが目に浮かぶ。
椎名誠賞
赤ちゃんをおんぶしていた時に、小学校入学したばかりの息子に言われました。上の子と下の子は6歳差。
久しぶりの育児にバタバタしていたので…その発言に、また一からがんばろうと思えた一言でした。
手帳大賞では小さな子のほんの一言が取り上げられることが多い。
これも小さな子しか思いつかない、思わずはっとする愛情あふれる発見で、なんとも微笑ましい気分になります。
黛まどか賞
言葉遣いの丁寧な私の友人が帰ったあとで、三歳だった娘がしみじみと。
そんなことに心を留めていたことにおどろき、それを三歳児の語彙で表現するとこうなるんだと新鮮な印象を受けた。
日本には昔から「言霊」の文化があります。美しい言葉には、美しい心が宿り、周囲まで幸せにする。
それを理屈でなく直感で覚った子供の感受性に、はっとさせられました。
大 賞
6歳の息子が、父親にぎゅーっとして言った一言です。子供なりに父親の頑張りを分かっているのだと感動しました。
仕事から帰ってきた大好きなお父さんに向けられた言葉でしょうか。お父さんはもちろん、このやり取りを聞いていた応募者のお母さんも嬉しかったことでしょう。自然とこんな言葉が出てくるあたたかい家庭の情景が目に浮かぶ、誰もが優しい気持ちになれる言葉です。
優 秀 賞
いつもママに怒られてばかりの息子が言った一言です。なるほどと納得させられました。
“笑いんぼう”という言葉には、思わず微笑んでしまうような、人を幸せにする力があると思います。この言葉通り、いつも笑顔で過ごせば、何事もうまくいくのではないでしょうか。
泊まりで友人と遊んでいたとき、友人が寝る前にふと言った言葉です。シンプルに核心を突いた言葉だと思います。やはり布団のぬくもりは母親のお腹の中と似たものがあるのでしょうか?
そのシーンのイメージがわく、誰もが共感してしまう言葉です。「平和」という言葉が、今の時代性とも重なって、深い余韻をもたらしてくれます。こういうぽろっとこぼれる言葉に、世の中の真実は隠れているんですよね。
審 査 員 賞
泉麻人賞
雨が降る中、小学5年生になる友人の息子が、傘をささずに顔で雨を受けていました。「何をしてるの?濡れちゃうよ」と、私が話しかけるとこの言葉が。彼は今ピアノに夢中だそうですが、将来は有能なピアニストか、はたまた偉大な詩人になるのでは・・・と思わされた一瞬です。
雨とジャズの語感がいいね。なんとなく、ジーン・ケリーのマネをして雨中で踊るマセた少年の姿が思い浮かんできます。
椎名誠賞
二人の内のいずれかが50代であれば割引きになる映画館の入口で「何か証明になるものは?」と訊かれ、妻がとっさに言った一言です。
この国はしばしばろくでもないサービスのシステムを作り、結局、形式だけの底の浅さがばれてしまう。そのあたりのばかばかしさを、この一言が射抜いた。
黛まどか賞
大学の時の先輩の名言です。確かに、こう考えるとその時辛くても、さみしくても「良い時もあったな」と少し冷静になって乗り切れます。良い思い出があればある程、がんばれます。
子供の頃に愛された記憶が、生きる力のある人を作るように、良い思い出は、私たちをさりげなく包み、背中を押す。この言葉そのものが非常食になるような名言です。
大 賞
私が懸賞にはまっていた頃、食卓テーブルでハガキを書いていると、息子がのぞき込んで言った言葉です。彼が指さしたのは住所の中の一文字ですが、何かすごく「深い事」を言われた気がしてドキッとしました。いつまでも忘れない一言でしょう。
「逆さにしても幸せ」というのは、なかなか深い。「逆境の中にも幸せはある」という意味にも取れる前向きな言葉だ。また、言葉が視覚的なところも面白い。子供ならではのまっすぐで素直な視点に好感が持てる。
優 秀 賞
仕事で腹を立てていた私に、上司がくれた一言。物事には様々な見方があり、できるだけ広い視野を持ちたいと意識するようになりました。
気づけば当たり前のことだが、見落としがちなところに目を付けた視点の独自性。見方を変えれば、物事の見え方は変わる、という哲学的な趣がある。いろんな場面で応用できそうな使い勝手の良さもこの言葉の魅力。
左遷されて落ち込んでいたとき、この先輩の言葉につい涙ぐんでしまった。
この言葉のいいところはつらさをユーモアに変え、明るく捉えられるところ。そして、ただユーモアがあるだけでなく、後になって昆布や芋のようにじんわりと味がにじみでてくるところ。深い愛のこもった言葉である。
審 査 員 賞
泉麻人賞
弁当持参で塾へ通う小6の息子。まだ寒いある日、空豆入りの炒り卵と菜の花のあえものを弁当に詰めました。帰って来て、空っぽの弁当箱を差し出しながら、息子が言った一言です。嬉しくて、私にも春が来たようでした。
「春が来た」のフレーズからは、季節の“暖かさ”とともに人の“温かさ”が伝わってくる。少年は無意識に語ったのかもしれないが、詩的センスを感じる。
椎名誠賞
明日は誕生日、という夜。五歳になるのが嬉しくて、娘はこう言って2階へ上がっていきました。5年も前の話ですが、今でも名言だと思います。食事中に目が合った時、真顔で「オス!」と言われたこともあります。三歳の頃でした。何かと面白い子供です。
明日はうれしい誕生日。その前の日の期待と少し心配な気持が素直にあらわれていて、大人には絶対に発想できない世界だ。
黛まどか賞
五歳の息子に言われました。私はつい「今忙しいからあとで!」と言って後回しにして忘れてしまうので…はっと反省した一言でした。
みな多忙を極めて大事なことが等閑になっている現代社会。幼い子供の一言が、「今、ここ」に生きることの大切さを伝えている。
大 賞
朝の澄んだ空気。夕焼けの美しさ。家族の笑い声。元気をもらえるいいものってタダでできているんですね。いつだったか母親が言った言葉です。
思えば私たちが生きていく上で絶対に必要なものは、元から地球にあるものです。私たちはそれを「共有」することで生きている。その「共有」という概念を「タダ」という一見ネガにも映る言葉で表現したことにこの言葉の強さはあります。人間にとって本当に大切なことは何かを優しく気づかせてくれる、コロンブスの卵的大発見ですね。
優 秀 賞
私が娘に授乳している時、小学生の息子が言った言葉です。娘を見つめる姿を「目でも抱っこ」と表現してくれたのが、とても嬉しかったです。
お兄ちゃんの母親を真剣に見つめる視線に、ハッとさせられつつも、ほっこりした気持ちになる一言です。「目でも抱っこ」というオリジナリティあふれる言葉の発見は、まさに子どもならではですね。
私が、「あの時、親の言う通りにしとけば良かった」と落ち込んでいた時に、兄に言われた言葉です。何となく分かったつもりでいるけれど、本当の意味を理解するのには時間がかかるものだと励ましてくれました。
親の言葉のありがたみは、ある時不意に思い出される、という誰もが一度は経験することをチャーミングに表現してくれました。その場にいないけど、心の声として聞こえてくるという状況を、昔流行った「遅れて聞こえる腹話術」という楽しいたとえ話にすることで、格言の小難しさや嫌味な感じがなくなり、すっと心に届く言葉になりました。
審 査 員 賞
泉麻人賞
蓄積疲労によって体を壊し、仕事を辞めざるを得なくなった私に、母がかけてくれた一言です。おかげで力が抜けました。でもお母さん、「ぼよ~ん」ってどんな感じ?
「「ぽよ~ん」でもなく「ぷにょ~ん」でもなく、「ぼよ~ん」という語感が素晴らしい。古里のお母さんのナマの声が伝わってくるような。
椎名誠賞
高校時代、親友からもらった言葉です。今考えると何てことないのですが、当時はちょっとした悩み事を世紀末のように深く悲観的に捉えていました。今は大学生となり、就職活動真っ只中ですが、この言葉に何度も救われています。
人は常にいろんな悩みを抱えている。その当座は深刻だが、たいてい少し経つと何であんなに悩んだのだろうか不思議に思うことが多い。これまで気が付かなかったそんなことをこの一言が見事に教えてくれた。
黛まどか賞
長女が39才で病死(脳腫瘍)した時、次女が言った言葉です。「背が高い人もいれば低い人もいるし、走るのが速い人もいれば遅い人もいる。」に続けて言った言葉です。
医療の進歩により寿命は飛躍的に延びた。命は長いほど良いと考える人が多い中で、肉親を失った個人としての悲しみを越えて、長短よりも大事なことがあると気づかせてくれる透徹した言葉である。
大 賞
釜石に住んでいる姪は、3月11日の大津波で5年前に新築したばかりの家を流されて、35年のローンだけが残りました。小学校入学目前の長男のために用意した机やベッドも全て流されました。何と言って慰めて良いのかと思いつつ、とにかく励まそうと電話したところ、彼女の力強い一言でこちらが励まされてしまいました。単純明快ですが、たくましい一言でした。
「明るい」と「貧乏」という思いがけない言葉の組み合わせに、ハッとさせられました。お金に余裕がなくても、人は明るく前向きに生きていくことが出来る。不況が長引き、生活保護が社会問題になるこの時代に、とても意義深く、人を勇気づける力を持った言葉ではないでしょうか。実はこの言葉をおっしゃったのは、東日本大震災で被災された方です。明るい言い回しの奥に人間の強さが秘められていて、非常に重みのある言葉です。
優 秀 賞
東日本大震災の"がれきのニュース"が流れたときに、中学生の息子がつぶやいた言葉です。彼らの世代がこの国を立て直してくれることを願ってやみません。
大震災を実際に体験していないと、被災された方の心情を本当に理解することはできません。だからこそ、つねに想像する努力を忘れてはならないのだとあらためて気付かされました。なんの気なく使われていた言葉に違和感を感じた中学生。彼らが築いていく未来に期待したいですね。
私の祖母がよく言っていた言葉です。熊本弁です。「バチ(罰)は、かぶりながら進めばいい」という意味です。「悪いことをするとバチが当る」と言いますが、小さなバチを沢山受けながら育たないと、人の痛みや優しさもわからない人間になるんだと教えられました。大人になって親という立場になり、この言葉の深さを感じています。「バチャーかぶりかぶりいくとよか!」今でも祖母の温かい声が聞こえてきます。
「悪いことをするな」などというきれいごとではなく、人間の弱さをふまえた真実の言葉ゆえの説得力があります。様々な人生の経験を積まなければ、たどりつけない言葉だと思います。熊本弁なのでパッと聞いても分かりにくいのですが、かえって気になって意味を知りたくなります。
審 査 員 賞
泉麻人賞
6才の息子が地球儀をくるくる回しながら、国境線を指差して言った言葉。何でも線引きしたがる人間社会の狭小さ、尊大さを考えさせられました。「きっとこの地球で人間が一番偉いと勘違いしているからだと思うよ」と答えました。
もちろん、6歳の坊やに"領土問題"などの意識はないことでしょう。尖閣諸島や竹島のニュースが話題になる以前に送られてきた、という点でも興味深い。
椎名誠賞
私の出産に立ち会った息子(当時小2)が、生まれたばかりの自分の妹に言った言葉。生まれたての赤ちゃんは、まるで「宇宙人」みたいに見えたのでしょうか。私は「そうか、地球でのひとときを楽しめばいいんだわ」と、妙に気が大きくなり、育児に対してすっと肩の力が抜けたことを覚えています。今では小学生になった娘ですが、毎朝ランドセルの後ろ姿に「たのしめよ!」とエールを送っています。
小さな子ならではのヒトコト発想にはいつも感心しているが、こんなにスケールのでかい赤ちゃんお迎えの言葉ははじめてだ。まさに発想がバクハツしている。
黛まどか賞
数年前、母からこの言葉を聞いた時はドキッとした。それまで専業主婦として平穏な人生を過ごしてきたとばかり思っていた母が、人生の黄昏を迎えてそんなことを考えていたとは。崖っぷちまで行く覚悟がなければ、そこにとどまるしかないのだと。いったい母にどんな体験があったのか。それとも平穏な人生などただの幻想にすぎないということか。
「自己実現」という言葉が流行り出してから久しいが、安全な場所に身を置き、不平不満を言いながら飛べないでいる人が多い。苦しい時代を生き抜き、自らの体験を経て生まれた言葉は肝っ玉が座っている。
大 賞
私と弟を育てるために、昼は工場勤務、夜はファミリーレストランでバイト。まさに寝る間も惜しんで働きつづけた母も還暦を迎え、今は平穏な日々をすごしています。あの忙しい中、ご飯も手作りだったし、旅行にも連れて行ってくれたし、八つ当たりされた記憶もない……。いったいどうやって時間をやりくりしていたの?と、たずねたときの一言です。
「時間」と「柔らかい」という意外な言葉を組み合わせた表現が秀逸です。子育てに大変なご苦労があったはずなのに、それを感じさせない力の抜けた言い回しが、かえって強い説得力を生んでいます。現在私たちの社会は、待ったなしで取り組まねばならない様々な問題に直面しています。この言葉はくじけそうな困難を前にしても「もっと工夫してみよう。必ず解決の道はあるはずだ」という勇気をくれます。
優 秀 賞
姉が出掛ける前「時間がない!」と言いながら慌しく身支度していました。それを見ていた私の息子(姉にとっては甥)がなにかを捜すようにキョロキョロしながら言った言葉です。
時間って、不思議ですね。短くなったり、長くなったり、生まれたり、なくなったり。それを素直に表現していて、誰もが共感してしまう言葉ではないでしょうか。テーマになっていることは大賞と近いのですが、こちらは子どもが言った言葉で、ユーモラスな表現になっているところが面白いですね。
トゲのあることばかり言う友人のことを、母に愚痴ったときに言われた言葉。生まれたときからとげとげしい人なんていないのだと母に諭されました。この言葉のおかげで、幅広い人に対して、優しくなったと思います。
手帳大賞史上最も長い、ユニークな表現の受賞作品です。「サボテンのトゲは生えているのではなく、刺さっているのだ」という逆転の発想が、新しい発見につながりました。誰かを悪く言う前に、立場を変えて色んな角度から考えてみる。そんな人間関係における大切な姿勢を教えてくれる言葉です。
審 査 員 賞
泉麻人賞
子育て真っ最中だった頃の嫁さんの言葉です。歩行者が肩にかけているバッグの角、坂道を猛スピードで下る自転車、不意に近づいてくる酔っぱらい。子供を抱いて歩いていると、それらは我が子に危害を及ぼすかもしれないものだと気付いたそうです。今でも必要とあれば一瞬もひるまず、身を挺して我が子を守るその姿は、最高に優しく、最高に狂暴です。
マンガ的な絵が浮かぶユーモラスさと身体を使った体験者ならではのリアルさに魅かれました。くすっと笑った後、愛情の凄味がじんわりと伝わってくる。
椎名誠賞
「ばっちゃん、人間が死んだらどうなるの?」「おほしさまになるのよ」田舎の夜空を見上げて「ばっちゃん、今日はいっぱい死んでるな」
人が死んだらお星さまになると世界中で子供らへ言い伝えている。美しく夢があっていい。田舎の星空を見上げながら、少年が正直に今思っていることを話している光景が目に浮かぶ。
黛まどか賞
いくつになっても母親というのはそういう存在です。私は末期のがん患者ですが、向こうに行っても亡き母がいてくれると思うと心が安らぎます。
母とは、いつもどこかで我が子の帰りを待ち続けているものなのだ。母が待っていてくれるという大きな安心感の中に、私たちは日々生かされている。
大 賞
春がきて、赤やピンクのチューリップ、紫や黄色のパンジー、うすむらさきのムスカリ等が、花壇に咲き乱れていました。その色とりどりの花を見て、4才の息子が言った言葉です。「なるほど。本当に土の中に絵の具があって、さまざまな美しい色の花を咲かせるのかも」そんなことを思った春の一日でした。
なんて素敵な発想でしょう!夢があって。ファンタジックで。しかも、ただ表現として優れているわけではなく、そこに深い意味も読み取れます。考えてみれば、土は様々な植物を育み、美しい花を咲かせる力を持っている。この力を"絵の具"ととらえれば、あらためて土の大切さ、自然の大切さを私たちに気づかせてくれます。
審 査 員 賞
泉麻人賞
図書館で『自分探し』というタイトルのDVDを目にした時、「近ごろ何となく自分探しの旅に出る人が多いけど、自分は探すまでもなく、ここにいるんじゃないかな。どこに行っても結局自分が移動しているだけだから、何も変わらないんじゃないかな。だったらその時間を使って、自分を磨く努力をしたほうがいいんじゃないかな」そんなことを思いました。
"自分探し"という言葉が軽々しく使われる風潮を巧くとらえている。探せない人が自分を磨くのは難しいとはいえ、外より先に内を見つめるのは大切なことだ。
椎名誠賞
保育園に通っていた頃に姪が口にした言葉です。その時に姪が何を楽しみにしていたのかは忘れてしまいましたが、今でもこの可愛らしい表現は心に残っています。
目を通した瞬間、思わず拍手をしてしまった。幼い子どものこのすばらしい感覚こそ言葉のタカラモノだと思った。
黛まどか賞
40年前、中学生になった僕に祖母が贈ってくれた言葉です。「手で持つ物は重いけど……」人差し指で自分のおでこをつつきながら「ココに入れたものはちっとも重くない。だからうんと勉強しなさい」とニッコリと笑いました。祖母はもう亡くなりましたが、ものごとを教えるのが巧みな人でした。昔の年寄りはたいしたものです。私も3人の子どもたちに同じように伝えました。
受験の年頃には、誰もが一度は「一体何のために勉強するんだろう」と悩むはず。「あなたの将来のために…」などという尤もらしいどんな説明より、おばあちゃんのこの一言には説得力があります。その時のおばあちゃんのしぐさ、笑顔と共に、素朴であたたかいこの言葉が印象に残りました。昔のお年寄りの言葉には、知恵が詰まっていますね。
エントリー賞1
テレビから「しあわせって、何だっけ何だっけ~」というCMソングが流れてきたときに、洗濯物をたたみながら母親が言った言葉です。
洗濯をしたことがある方なら、誰もが共感できる言葉ではないでしょうか。天気がよくて、あっという間にかわいてしまったときの爽快な気分!洋服が風にゆれて、ほのかに洗剤が香り、仰ぎ見れば青空に白い雲……。案外、人の幸せって、日常のささいなところにあるのかもしれません。
エントリー賞2
ある日、スケジュールをケータイで管理する私と手帳にまとめる友人とで、意見が分かれました。「もっと便利な方法があるんだ」と主張する私に対して、友人は「紙の質感、筆圧のニュアンス、ページを送る時の微かな風……手帳には温度がある」と言いました。それ以来、私も手帳を持ち歩くようになりました。
実は、受賞作品とすべきかどうか議論になりました。手帳の会社が、手帳をテーマにした作品を選ぶのはどうか?という意見があったからです。けれども、スマートフォンが話題になった今年にタイムリーな言葉だし、何より手帳のよさを"温度"と表現したのは巧みだと評価され、見事受賞となりました。
大 賞
友人から車を買い替えるべきかどうかを相談された時に、私が言った言葉です。新車にすると、確かに燃費は良くなります。けれども、新しい車を一台つくるには、ものすごくたくさんのエネルギーが必要です。そう考えると、買い替えは単純に「エコ」とは言えません。むしろ大事に乗り続ける方がいいのではないかと思いました。
最近、世の中には“エコ”を謳った製品があふれています。買い替えを勧める広告もよく目にします。そんな風潮の中でふと立ち止まり、あらためて本当に大切なことを見抜いたことがとても素晴らしいと思います。口にしたときの語感もよく、環境キャンペーンのスローガンとしても使えそうな言葉です。
泉麻人賞
かつておたんこ泣き虫ナースだった私に、先輩がくれた言葉です。「白衣を着ている時は看護に徹しなさい。笑顔で、しなやかに、優しく、強くありなさい。そして、私服では女性であることを楽しみなさい。人生、コスプレ。服の数だけ色んな役になったら、それだけ沢山の“引き出し”を持つ人(人の気持ちを理解できる人)になれるから」
マニア用語(コスチュームプレイ)から広まった軽薄な印象のフレーズとはいえ、様々な場で使える「力」がある。「人生」と「コスプレ」の語感のギャップも面白い。
椎名誠賞
ある日、6歳の息子が、大したケガでもないのにワァーワァー泣くので、「男は泣くな!」と言いました。その時に息子が返してきた言葉です。思わず「そうやな」ってうなずいてしまいました。
これはさりげないようでいて、案外思いがけないほど深い言葉だ。こういう言葉は初めて聞いたような気がする。なんとなく「男はつらいよ」を連想した。
黛まどか賞
現在中1の息子が5歳の時のことです。ある日、何度注意してもいたずらばかりするので、父親が怒りました。「口で何べん言っても、たたいてもわからんのなら、お父さんは一体どうすればいいんか!?」息子は涙をぽろぽろ流しながら一言。「許せばいい」小さな事をいちいち怒るなという事か?と家族みんなで大笑いでした。
世界中で不毛な闘争がいまだに止むことはありません。報復に継ぐ報復は、憎しみの連鎖を招くだけです。「許せばいい」小さなお子さんが日常で発した何気ない言葉が、大人の胸に刺さりました。
エントリー賞1
まだ若かった頃の話です。仕事がとても忙しく、しかも次から次へと問題が発生して対応に困っていた時に、大先輩に言われました。当時は「なにを呑気に」と思いましたが、この歳になって「確かに答えの無い問題はなかった」と実感しています。
実際に経験を積み重ねてきた人の言葉は、さすがに重みがあります。仕事上だけでなく、人生において悩んだときにも力になる言葉だとおもいます。「どうにかなるよ」と単純に言うのではなく、答えと問題は一対だという思い込みを覆す意外な言い回しも巧みです。
エントリー賞2
6才の息子がキッチンで私の手伝いをしている時のこと。主人が息子のノートを見て「勉強が進んでないじゃないか。ちゃんと勉強しないと人の上に立てないぞ!」と言いました。すると「これ (手伝い) が勉強!僕は人の隣に立ちたいもん」という答。感動しました・・・…。
審査員一同、感動しました。なるほど、人の上に立とうとするよりも、人の隣に立とうとする方が、よほど立派なことかもしれません。このような考えを持っていれば、みんなもっと幸せになれるのではないでしょうか。しかも言ったのは、6歳の男の子!まいりました。
大 賞
高校入試を目前にしたある日。伸び悩む成績表を前に「なんでもっと頭良く産んでくれなかったのか・・・」とぐちをこぼした私に、母がキッパリと言い切った言葉です。何も言い返せませんでした。その後母を信じてひたすら努力し、2ランク上の高校に、奇跡的に合格!現在私も小学生の娘をもつ母となり、この言葉を使わせてもらっています(笑)
この、問答無用の力強さ!何の根拠もないのに「そこまで言い切るなら、信じて努力してみるか」と思わせるパワーがあります。成績が悪いことを親に責任転嫁しようとした娘への見事な切り返しですが、きちんと応援の言葉にもなっているところが素晴らしいと思います。
泉麻人賞
14才の娘は、パソコン・ケータイ・アイドル等々、青春を楽しんでいる様子。先日もジャニーズのアイドルの話で友人と大盛り上がりでした。そこで母の私が「少しは宿題やったら?」と注意すると、娘が一言。「お母さん、青春の副作用だから仕方ないよ!」
何が本作用なのかよくわからない、アバウトな文法ながら、思わず頷いてしまうような説得力がある。他の場でも流用できるキャッチーなコピーだと思う。
椎名誠賞
「俺を信じて、だまってついてこい」それがプロポーズの言葉でした。九州男児の私としては男らしく言ったつもりでしたが、妻の返事はこんな具合でした。あれから24年。あの時の言葉のとおり、いろいろ言いながらついてきます。
長い間「だまって俺についてこい」が日本の頼れる男だというはなはだ一方的な、しかも男に都合のいい根拠のない風潮にどきっとする一言。背後に愛情が見え隠れしてすばらしい。
黛まどか賞
「努力はどんどん増えていって“+(プラス)”になる。けれども協力は、1人でも協力しない人がいると“0”になる」という意味。この言葉は、私たちが全然協力していない時に、部活の先生が言ってくれたものです。いまでもとても記憶に残っています。
北京オリンピックで見事銅メダルを勝ち取った陸上男子400mリレー。一人一人の「努力」と共に、バトンを確実に受け渡すという「協力」があってこその勝利でした。
エントリー賞1
ハイビジョンテレビに鮮明に映しだされた富士山を見て、友人が発した言葉。一向に改善されない富士山のゴミ問題を憂えての言葉であろう。いつか世界遺産に登録されるくらいに富士山がきれいになり、その姿をハイビジョンで見られる日がきたら最高ですよね・・・。
普通なら「このテレビの画面、きれいだね」で終わるところですが、言われてみれば本当にその通りですね。うなずくと同時にハッとさせられました。環境問題について、素直に考えさせられる一言です。
エントリー賞2
この言葉は、息子が小3の時に冬休みの計画表に目標として書いたものです。今の世の中にこんなことを書くヤツいないだろーっとぶったまげました。けれども、エネルギー全開、自由人の息子らしい言葉に「そうだよなあ。子どもは遊ぶ生き物だよなあ。好きなだけ遊べー」と感心してしまいました。(思い出として写真に撮って大事に保存しています)
“ばくはつ”と“あそぶ”。本来組み合わせない言葉ですが、子どもが全力で遊ぶ光景が鮮やかに浮かんできます。すべての子どもがこれくらい元気だと、この国ももっと元気になるのではないでしょうか。
大 賞
若い頃「生きている意味がわからない」「生きている意味がない」と落ち込んだときに、年配の方から言われました。そう、意味がなくともちゃんとこうして生きています。飯や酒がうまいことや好きになったりすることに、そもそも意味なんてないですよね。
私たちは「そんなこと意味がない」とよく口にします。けれども、意味を考えずにやってみることにこそ価値があり、はじめて見えてくる何かがあるのかもしれません。生きていく上での示唆に富んだ素晴らしい言葉だと思います。様々な経験を重ねてきた年配の方ならではの、人生の重みも感じられます。
泉麻人賞
私が仕事で大失敗し、「一巻の終わりだ」と嘆いていたら、当時小学一年生だった息子が言った言葉。「一巻の終わり?じゃあ、二巻の始まりだね」と。
“ことわざ調”の簡潔なフレーズが目にとまった。たぶん発言者の息子さんは元ネタの“一巻の終わり”の意味は知らなかったのだろうが、そのズレがまた面白い。
椎名誠賞
ウルトラマンのビデオばかり見ている4歳の息子に「ビデオばっかり観てたらアンポンタンになるで。少しは勉強でもしたら?」と言ったときの返事がこれ。その勉強は確かに大切だ。つまらんこと言ってゴメン。
勉強しろ勉強しろとのべつまくなしのうるさい日本の教育社会の中で、なんとまあスケールの大きなヒトコトではないか。
黛まどか賞
転職するかどうか迷っていたときに、背中を押してくれた父親の一言。大きな一歩を踏み出すことができました。今でも後悔はしていません。
時には悩んだり立ち止まったりすることも前進の一部ではありますが、足踏みのままでは、一向に進みません。抽象的な話ではなく、具体的に“靴”に喩えた身近な話に、説得力とほのぼのとした愛情が感じられました。
エントリー賞1
階下に住んでいるおばあちゃんに「いつも騒がしくしてすみません」と言ったところ、気持ちの良い返事に少しビックリ。さすがだと思った。
迷惑に感じるはずの物音が、お年寄りの方にはうれしく聞こえるという意外性にハッとさせられました。ご近所へのさりげない心遣いも素敵です。最近心ない事件をよく耳にしますが、こんな暖かい言葉があふれる世の中になるといいですね。
エントリー賞2
インフルエンザが学校で大流行。高熱で苦しんでいた当時8歳の長女が、元気で病気知らずの弟を見て言った一言です。病気はうつるのに……元気もうつって欲しいよね。我が家の20年前のひとこまです。
「元気がうつる」という発想が素晴らしいと思います。早く病気が治って欲しいという切実な思いもよく表れています。この言葉の通りに元気がうつって、みんなが元気に暮らす世界になればいいな、なんて想像してしまいました。
大 賞
今から8年前、兄を助手席にのせて駅に向かっていたときのこと。何気なくタバコをポイッと窓から捨てた時に兄から言われました。それがきっかけで、今では灰皿がある場所でしか吸いませんし、携帯灰皿もつねに持っています。こんなふうに叱ってくれたのは兄だけだったので、妙に嬉しく思ったのを覚えています。
近年、ますます関心が高まっている環境問題。難しい理屈や道徳を並べるのではなく、地球の立場になってさらりと口にした言葉だからこそ、かえって心に響き、素直に行動を促す表現になったのかもしれません。人に注意されると思わず反発したくなるものですが、この巧みな言い方には誰もが反省してしまうことでしょう。
泉麻人賞
息子が5歳当時、夏休みに新幹線でおばあちゃんの家へ行くのが待ち遠しくて日記に書いた一文です。乏しいボキャブラリーの中から精一杯の待ち遠しさを表現したのだと思います。大人のわたしには新鮮なひとことでした。あまりいいことがなかった日には、「きょうは あしたがたのしみ」と言ってみると、なんだか元気がでます。
簡単な言葉だけれど、オトナが頭で考えても浮かんでこない‥・ようなところが気に入りました。「きょう」と「あした」の間にも、五歳の幼児ならではの“長い距離感”が感じられます。
椎名誠賞
孫娘が4歳の時、私たち祖父母が幼稚園に迎えに行った時。帰りの車の中で「いま何語でおはなししているの?」「みんなにわかるようにひらがなでおはなしして」と言われました。当時は不景気を嘆く会話ばかりでしたので、外国語とか漢字に思えたのでしょう。今の時代こそひらがなで話し合うことが大切だと反省させられました。
大人たちの会話というのがいかにせせこましく早口で文法を無視したしゃべりかたをしているかということがよくわかるヒトコト。はっとして居ずまいを正さなければならないような気持ちになった。
黛まどか賞
「オレオレ詐欺」の電話を受けたときに祖母が言った一言です。何かと物忘れが増えた祖母ですが、孫の私たちをしっかり見てくれているのだと驚かされました。まだまだ元気でいて欲しいものです。
家族、学校、職場‥・現代社会のあらゆる場面で欠如しているのが、この絶対的な信頼関係。そこにつけ込んだのが「オレオレ詐欺」。おばあちゃんのこの素朴な一言は重い。
エントリー賞1
運動会の日、ビデオを抱えながら「我が子の晴れ姿を!」と会場を走り回る私の姿を見た娘が言った一言です。周りにはビデオを抱えたお父さんや、お母さんの姿がたくさんありました。「レンズ越しじゃなく、生(なま)の私を見て!」という子どもの素直な気持ちに触れ、とっても反省させられた出来事でした。
子どもは両親の優しいまなざしに、限りない愛情を感じている。そんなことにあらためて気づかされる一言です。私たちはいつも子どもたちを“本物のおめめ”で見ているでしょうか?
エントリー賞2
昔、学校の掃除の時間でのこと。その日はあまりに寒くてバケツの水を誰も取替えに行きたがらず、いつまでも泥のような水で雑巾をゆすいでいた。皆、誰かが行けばいいのにと思っていた、すると先生は全員を叱り、黒板にこの言葉を書いた。その後、この言葉のおかげで私は何事も嫌がらずにできるようになり、老親3人の介護も苦に思わなかった。
「きっと誰かがやってくれる」「それは誰かの責任だ」人はそんな風に思いがちです。この言葉のように一人ひとりが「自分がやらなければ」と考えるようになったら、世の中はどんなに変わることでしょう。
大 賞
運転していたら信号が変わってくやしがる父親に、2歳の息子が言った一言です。いつの間にか時間に追われる大人になってしまったことを痛感させられました。いまの気持ち、息子には忘れないでほしいなー。
子どもはやはり物事の本質を見抜く天才だと思わされる一言です。きっと一瞬でご主人の気持ちを和らげたことでしょう。また解釈を広げれば、困難にぶつかった人に対して、「必ずまた前に進めるときが来るよ」と勇気付けられる言葉にもなりうると思います。
泉麻人賞
土木作業員を始めた時に現場の人たちが言っていた言葉。太陽の照りつける現場での作業は毎日が汗タラタラ。帰り際に「ビールの前の風呂がうまいぞ」とよく言っていた。もちろん、汗をかいた分だけ風呂に気持ちよく入れるという意味。そういえば、学生時代、陸上競技の練習の後のシャワーもうまかった。
カラダから出た言葉、ならではの強さがある。また“汗入りの風呂”を連想するような危うさもあって面白い。体育会系名文句、とでもいいましょうか。
椎名誠賞
TVを見ているとき、4歳の息子が好きなタレントさんに向かって「僕のところにも来てくれるとうれしい」と言いました。そこで「TVに出ている人にはなかなか会えないんだよ」と教えてあげると、息子が返してきた言葉です。心が温まりました。
これだけでは意味がわからないだろうけれど添えられたコトバの背景を読むとふんわりしたやさしい気持ちが伝わってくる。こういうのを生きたコトバというのだろう。
黛まどか賞
近所に住む息子の同級生のお母さんが話してくれた言葉です。彼女が茶碗を割ってしまい、それを同居している姑さんに謝ると「お茶碗を割るのは洗ってくれる人だけ。洗わない人は割ることもないのだから、謝ることないのよ」と言ってくれたそうです。
失敗するのは何かをやっている証。茶腕を洗わなければ割ることもない。しかしその原点を忘れて、失敗のみを咎めるのが世の常。茶碗を洗い続けてきた人だからこそ言える名言。
エントリー賞1
母方の祖父の言葉です。思春期の頃、鼻が低いのがコンプレックスで、それを母に訴えたことがありました。後日、母が「この子の鼻が低くて…」とおじいちゃんにこぼしたら「この子の顔には、この鼻が合っとる」と言ってくれたそうです。自分の顔、鼻を好きになれるきっかけをくれたおじいちゃんに感謝です。
なんと温かい言葉でしょう。お孫さんへのあふれんばかりの愛情が感じられます。また、大切なのは優劣ではなく、自分らしさだという普遍的な真理も気付かせてくれます。
エントリー賞2
リストラされた私。出勤する妻を、寝癖のついた顔で見送る朝の玄関。恐れ多い妻の一言に思わず「はは−<(_ _)>−」
リストラという厳しい状況にも決して暗くならず、逆にユーモアを感じさせる一言。奥様の陰の頑張りや上手なやりくり、そのすべてをさりげなく包み込んだ表現は見事です。
中学校の全校集会にて美術の先生が全校に向けて言っていた言葉で、ちょうど人間関係で悩んでいた時だったので、心に残る言葉になりました。その後も、この言葉のおかげで悩んだり、苦しんだりした日々も、価値あることのように思えるようになりました。
人は悩み、判断に迷い、立ち止まることがよくあります。そして立ち止まっていること自体に、また悩んでしまうのも人間です。この言葉にはそれをポジティブにとらえ、勇気付けるあたたかさがあります。短い一言ですが、きっとたくさんの人の力になる素晴らしい言葉だと思います。
浅井 愼平賞
長男が5才の頃、あまり文字などに興味を持たないことが気になっていました。そのことを直接相談したわけではないのですが、ちょっとしたお茶のみ会の中で近所の先輩お母さんから出た言葉でした。あれから10年近くたった今でも、子どものことを考えるとき、この言葉を思い出すと腰をすえることができます。
親と子のあり方は永遠のテーマです。この言葉はそんな親子の平穏を表していてほっとしました。
麻木 久仁子賞
私は心の病気で入退院をくり返していました。混乱のさなか私の「私はどこ向いて走っているんだろう」というメールに対する大学時代からの友人からの返信。当時はただただありがたく夢中でメモしましたが、回復しつつある今、改めて、私の道を生きよう、と思っています。
未来を知っている人なんて誰もいない!運命を信じて前進あるのみ!元気がでました!
黒鉄 ヒロシ賞
夫婦ゲンカで夫が妻に「出て行け」とどなった時、妻が「私の大切な物を一つ持って行きます」と言って風呂敷を広げて上記の言葉を一言。この話は、知人から聞いたものです。
ユーモアの分母の上に愛と余裕が乗っている。余裕はよく出来たこの話の詮索をも嗤う。
村松 友視賞
主人が一歳の娘に対してつぶやいた言葉です。以来、この言葉は私の中で大切な言葉となりました。
幼児の言葉の大きさ、深さ、広さ、重さ‥・ここから人間は無駄な言葉を覚え、問題を細分化させ、堕落してゆく。
エントリー賞1
高校時代の恩師の言葉です。母の日は全ての人が母を思う日だと教えて下さいました。“子供は母を母もまたその母を、その母もさらにそのまた母を思い感謝をする日なのだよ。全ての人が母を思うから母の日には、お母さんはどこにもいなくなる日です”母になってもはや三十年、母を失って二十数年この言葉があるために、長い闘病の果てに逝った母を心から思える日になっています。そして、その母も幼くして死別した母に天の国でめぐりあえたことでしょう。
母親への愛情は、地球上の全ての人に共通のもの。“お母さんがひとりもいなくなる”という逆説的な言い方で、かえって母親への愛を強く表現しているところが巧みです。
エントリー賞2
夫婦ゲンカで、私が思わず「義母さんと私とどっちが大切なの?」と言ってしまった後、旦那にこう答えられました。思わず笑ってしまったと言うか、妙に納得させられた気がしました。
思わず納得!それに尽きます。キツイ言葉をぶつけがちなケンカの中で、奥さんを上手にかわす一言は、お見事です。ご夫婦のほほえましい関係も伝わってきます。